Sketch

ーもしも愛がすばらしいなら

息をする方法を教えてくれたのはフェミニストだった

最近、怒りが爆発する。でも、それ表明しようとする時「どうしてそんなことで怒るの?」「どうしてそんなによく怒っているの?」と、見えない友人の声が聞こえてくる時がある。

 

不思議なことに、今までは怒っていなかった。それは、怒りたいことに怒っていい。そんな単純なことが、許されない気がしていたからだ。

 

直接怒ることを禁止する人や言葉もある。でもいつも私が接していたのは、正当な権利が奪われて怒っている女性を馬鹿にする行為や言葉、「頭が悪い女性でなければ」「怒る女性はおかしい」etc.. 書いてみると本当にバカげているこんなメッセージが、今まで私が生きていた空気の中には、アレコレ形を変えて、埋め尽くされていた。

 

そりゃあ、生きづらくなるよな。息もしにくいわ。

 

私が怒りを感じるようになった(・・正確に言えば、自分の今まで見てみぬふりしていた怒りに気づくようになった!)相手は、いつも男性だ。女性に物言わせぬように働きかけていることすら封じ込めるような男性。女性に口がある事実を、女性が人間だという事実を、女性に人権があるのだという事実を封じ込める男性。

 

嫌だと感じられるようになって、感じることの偉大さと大切さに気づいて、本当によかった。

 

そう思う一方、怒ることを否定されている状況や、どんなに表明しようとも全く変わらない、見ようともしない相手にしばしばウンザリしている。

 

 

だからこそ感じる。女性に人権があるのだという当たり前のことを、ウンザリしながらも伝えつづけてくれた人たち。彼女たちの存在こそが、女性が人であることを否定する人たちに囲まれて、どう息をしていったらいいのか分からなくなった私を救ってくれた。Twitterの怒れるつぶやきも。きれいにまとめられた記事も。表立って表明し続けてくれた人の存在も。

 

だから私も怒り続ける。怒っていいのだと知るために。怒ることだと知り合うために。そしてもちろん、ウンザリすることごとを変えるために怒り続ける。