想いを伝える機会を取りにいく覚悟

 

この記事で描かれている、会場で彼が行った行為を、誰もが「間違ったこと」と前提にしているのが、私は悲しい。

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沖縄でも、「外国人弁論大会」のようなもので、言葉を発せず、ただただ無言で、容易してきた紙をめくりながら自分の想いを訴えた参加者がいた。

彼女の国、アメリカで行われている黒人への不当すぎる扱いを訴えたものだった。
その場には、在沖米軍総領事からのエリート男性も招待されていた。

 

「伝える」とはなんだろう。と改めて思ってしまうほど、呆れるほどルールにガチガチな弁論大会で(関係者の方々すみません。)、彼女はおそらく最下位にすらならなかったかもしれない。

 

彼女は、留学生に見えなかった。私には。日本語話者なのかも、分からなかった。でも強く、ここで今、伝えなければという勇気を必要としている想いがあったのは、私にだって伝わった。それをルールに則ってないから「間違っている」と、私には言いたくない。言えない。

 

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勿論状況が違う。でも簡単に「間違った行為だった」という前提しかないのは、あまりにも悲しすぎる。私だったら彼を捕まえて、実際に話す機会を改めてつくろうと追いかけたい(実際には瞬時にそうできず、きっと後で、「そうすれば良かった」と後悔しただろうけれど)。


私は伝えたい想いを持った人の行動を否定したくない。少なくとも、彼の行動は。
ちなみに、弁論大会に向けて、一生懸命練習し、素晴らしい発表をした人たちのことも否定するつもりはありません。彼女、彼らも本当に素晴らしかった。(でもそのときも、思い出してみると、途中で言葉が詰まり、会場から何度も笑いがもれた、上手く話せなかった交換留学生に、かつての自分を重ねて、1人泣いてしまったのでした。)