読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Sketch

ーもしも愛がすばらしいなら

家族という曖昧で複雑なはずのものによって「個人」を追い詰めること

下に上げている記事の中で、親が子どもに行う「ひっぱり」という行為が説明されている。

 

「家族」というのは、確固たる、固定化できるような、そんなものじゃない。

複雑なのが当たり前で、世間で時々聞く「家族の常識」なんて、大ウソだ。私はそう思う。

 

脆弱な「家族」という形に収まった構成メンバーに、「親」という存在、もしくはくだらない常識が時に、「他人を信じるな」「家族を優先するのが大切だ」「家族とは大切なんだ」と、潰れそうだったり、支援が必要な、自分を傷つけたり、踏みにじったりしない「家族」以外の人との関わりが必要な人に語りかける。

 

だから、支援につながれなかったり、「家族」の中でボロボロにされたりもする。

 

その現象があることを、言語として(概念として)、有るものなのだと、明らかにしたことの意味は大きい。限りなく大きい。この存在を知れただけでも、確実に助かる人、救われる人がいる。

 

以下、記事の該当部分引用。

金城さんが今悩んでいるのが、自立期を迎えた子どもに対して親が行う「ひっぱり」だ。
家事の担い手や、ときに稼ぎ手として、子どもが家庭の中で重要な戦力になっているとき、自立しようとする子の動きを親が妨げるようにふるまうことがある。
それは「あんたが一人でやっていけるわけがない」というネガティブメッセージとして発せられることもあれば、
「家族を見捨てるのか。弟や妹の世話は誰がやるのか」と、子の責任感にすがってくることもある。
そうやって子の自立を阻害するふるまいを金城さんは「ひっぱり」と言った。
もちろん、親として不適切な対応なのだが、
「あなた、それ不適切ですよ」と言って納得するくらいなら、そもそもそんなことは言ってないので、それでは変わらない。
だからといって、虐待等があるのでなければ、児童相談所が介入して強制的に親子を切り離すこともできない。
そして、当の子どもも、生まれて以来の生涯をともにしてきた家族から、簡単に離れることもできない。
でも、あきらめるわけにはいかない。
そこで金城さんは現在、子ども向けのシェアハウスを構想している。
子どもたちが「ひっぱり」から自由になっていくための、ステップとしてのシェアハウスだ。
おそらく、子どもたちはシェアハウスを活用しながら、寂しくなって家に帰ったり、ケンカしてまた出てきたり、行きつ戻りつを経験するだろう。
その中で、徐々に一人で暮らしていく自信と覚悟を身につけていく。 

 

「小1で大学断念」を変えるため総力挙げる沖縄の人々(湯浅誠) - 個人 - Yahoo!ニュース

 

翁長・沖縄県知事「でも、いま一番やりたいのは子どもの貧困対策」(湯浅誠) - 個人 - Yahoo!ニュース