私の「醜い親への手紙」

  • この1年半は、とっても大変だった。

 

私は幼い頃から、親とうまくいっていなかった。

 

だからこそ。母方の祖父母や従姉妹を大事に思っていたし、辛かった日々、どこかで心の拠り所にもしていた。

 

けれど、それが破綻していることに気がついた時、私自身も崩れ去るような感覚になってしまったのだと、今なら思う。

 

昨日読んだ『世界一醜い親への手紙』。

 

また自分が人を傷つけることしかできない人間なのではないかと、恐怖でいっぱいになった。

(好奇心で借りるものじゃなかった。一度閉じたら、また開くものでもなかった。)

(ちなみに、今は、そうじゃない方法を教えてくれた家族とも言える友人たちの顔が浮かび、私は違う方法を見つようと思える。できなくても、きっと相談にのってくれる場所がたくさんあることも、知っている。)

 

けれど、せっかくだから、今は全く何も感じない昔のこと、親のことを、親への手紙を書きながら、昔の自分を振り返ってみたい、そう思った。

 

睡眠薬が効いて、どうしても書き切れなくなるまで、ノートに書き綴った文章だ。

 

きっと、私が『世界一醜い親への手紙』を読んで苦しくなったように、苦しくなる人もいると思う。

 

だから、心の準備ができている人だけ、開いて欲しい。

 

 

〇〇(母)様、〇〇(父)様

私はいつも、不思議でたまりません。なぜ、あのようなことが起き、そして継続されたのか。ー不条理で、破滅的で、子どもの人権がない世界。それが継続できる世界。互いが互いを憎しみ合うことしか学べなかったあの家族。

 

お父さん、覚えていますか?あなたの末の娘(私の妹)がまだ3,4歳ーひょっとしたら、もっと幼かったかもしれないー時、私はあなたと、妹ー小さくて、可愛かったーと、新築の家で3人でした。テレビが置かれていた、フローリングと接する畳の部屋。ベランダが望めるその部屋で、あなたは私の妹の顔に、妹は泣いていた、その妹の顔につけれるだけの洗濯バサミをつけて、よけいに大泣きした妹をみて、あなたは笑ったんです。

 

私はいくつだったのでしょうか。ただ、私もまだ小さかった。でも、その時、狂気を感じたんです。狂っている、と。人はあまりにもこわすぎると、笑いが出ると、その時私は知りました。自分のかわいた笑い声と、直視できない妹の、洗濯バサミを顔中につけられた妹への罪悪感を、一生ぬぐうことはできなかった。

 

どうして。どうしてあの時、あなたは、妹、年端もいかない妹に、洗濯バサミをつけたのでしょう。

 

どうしてあの時あなたは笑ったの?

親戚の話だと、あなたは優しい兄弟だったと、聞いているのに。

他のことと、同じ感覚でやったの?

私の指にわさびをつけて笑うような?

その謎が、今も解けません。


我が家はー本当はこう呼ぶのも嫌なんだけれどー。本当にめちゃくちゃでした。ルールはなく、何事も気分次第だった。どうしてこんなことになってしまったんだろう。
当時はつらすぎて、毎日、日々を生き抜くことだけで精一杯だったけれど、離れた今、そう思います。

 

急にどなられ、消えるお風呂の電気。食べられなかった生のゴーヤーを2人で食卓に並び、「全て食べろ」というあなたの声。

 

思い出せるのは、かわいい思い出ばかり。一番つらくて、「これは私にやっているんじゃない。あの人が、あの人自身にやっているんだ」と思わずにはいられなかったような時。

半殺しにするなら、いっそ殺してもらえればいいのに、と願った日々。不思議だけど、その時に何をされたか、あまり覚えていないし、感情もわきません。
私は克服したの?それとも・・・?

 

夜、外出して、私達がテレビを見ていなかったか、すぐに戻ってきて、テレビの温度を確かめるあなた。なぜそこまでしなければならなかったのでしょうか。なぜ、笑い話にすらなりえそうなー私のカバンを探ったり、色んな手間のかかる嫌がらせをしたり。なぜ私には、そんな記憶しか残っていないの?

 

あの時、私は手形を書いた。私の「本当の」お父さんの手で、いつかきっと、迎えに来てくれる。そんな想像をしていた。

ーおかしなことに、他の切実な願いは叶わなかったけど、自分でも子どもじみていると思ったその願いは叶った。留学先の、ホストファミリーのおかげで。ホストファザーは、まさにあの時私が思い描いていた、「私を迎えに来てくれるお父さん」だった。私は自分が怖かったから、本当の「家族」というものに触れたかった。それが留学の一つの、そして一番大きな理由でした。

 

直前までずっと、「そんなんだったら行かさない」と言われていたから、本当に直前まで、私は友人にも留学に行くことを黙っていた。ただ、留学先で出会った人たちはみんな素敵な人たちで、本当に素晴らしいギフトをもらったと思っています。ありがとうございます。

 

私は恐らく、一番反抗的で、一番殴られたでしょう。争いの耐えない家で、私たち姉妹同士でもケンカばかりしていたけれど、あの洗濯バサミのこと、そして、引っ越して間もない時に、外で遊んでいて、飲み物を飲むために一度帰ってきた私が、私のせいで、その偶然のせいで、後から帰ってきた姉がはホースの水を思いっきりびしゃびしゃにかけられました。

 

呼んだのに来ない、とあなたは言ったけれど、私たちは、家の前で遊んでいた訳じゃなかったんだよ?妹には一生嫌われてもいい。水をかけられたたずむ6歳程度の姉に、私は何ができたのでしょうか。

 

今なら、きっとできる。でも、もし当時の自分にできないものなら、どうしてずっと、私は罪悪感をいだく必要があったのでしょうか。

 

殴られている時、ボコボコにされているとき、とてもつらかったけど、罪悪感(もちろん、気分次第でどうスイッチが入ってしまうのか分からないあなたにではありません)から逃れられることは、私にとって、1つの大きな意味があることでした。


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睡眠薬を飲んでいたので、強烈な眠気との戦いに負け、ここまでしか書けませんでした。
母は、殴られていても場所(近所に聞こえない場所でしてほしい)を気にしていたし、余計にいうことができません。

 

けれど、本当に2人とも、すばらしい人です。本当に、心から、そう思います。なんだか分離してしまってるんです。自分の身に起きたことと、彼女彼らのことは。

 

だから、この手紙を書く時、絶対に読んでほしくないな、と思ったし、私の「親への、醜い」手紙なんです。

 

成人してからは、感謝しようと、愛そうと努力もした。仲良くなろうと、頑張った。

 

やってくれたことで、感謝してることもある。もし可能なら、穏やかなかたちで、再度会えたらと思う。でもどうしてか、自分がダメにしかならなかった。

 

もう一度、書きますが、本当に、私の両親は素晴らしい人でした。けれど、どうしても、私にはダメだった。

 

両親、そして私のことを一番嫌っているであろう姉妹、大切な親戚たちが、幸せであるように、ただそれだけを、今は願います。いえ、それに加えて、自分も幸せになることが、これまでずっと支えてくれてきた多くの人たちへの恩返しなのだと思うから、あなたたちの元から離れた、ダメな娘に心を囚われることなく、今の人生を、今の時間を、幸せに生きて欲しいと思います。私も、私の大切な人達と、今を生きるから。