いい加減、性犯罪の認識ができない社会は変わるべき

この国の性犯罪の取り扱い、なんて言ったらまとめすぎかもしれない。

 

けれど、多くの場所で起きている性犯罪が軽く、時になかったものにされ、被害者のサポートもなしに起きていることに、うんざりするし、心底悲しくてたまらない。

 

「性犯罪」だと思っていないのだろう。「これくらい」だと思っているのだろう。

 

加害者がいくら言い訳にもならない言葉を並び立てても、周囲がどれだけ非条理で、無情な言葉で傷つけても。それがどれだけ被害者を傷つけているのか、その事実は消えない。

 

性犯罪は、長く続く被害だと、私は思う。

 

心にずっと残ってしまうその辛さで、どれだけのひとの心を刺殺し、どれだけの時間、被害者が傷つき続けるのか、そんなの帳消しにも、言い訳にもできない。

 

私は悲しい。とっても悲しい。どれだけ多くの人が被害にあっているのか、被害者がみんな口をひらけば、信じられない数になるだろう。

 

それなのに、変わらずにいるこの状況が本当に悔しい。

 

外国では、幼少時に被害にあった場合、一定年齢(例えば14歳からなど)から時効の期間が始まるところもあると聞いた。沖縄であった講演会だった。その話を聞いたとき、もし、日本でも同じ刑法が適用されていたのなら、訴えることができたのに、と私は悲しくなった。今も加害者が同じことを続けているのではないか、自分に何もできない罪悪感、そんなものから、せめて開放されたかった。

 

幼少時に起きたことが、大学時代に私を襲った。それは、性犯罪のことだけじゃなかったけど、性犯罪も確実に関係していた。10何年も経って、カウンセリングに行き、やっと言えたその被害。

 

そして更に私を悲しくさせるのは、それが、決して特別なものではないということだ。

 

ある時から、過去の体験を話しだした時、友人・知人の口から出てくる被害の数々。それが、「安心して暮らせる国」と言えるのか。私はとても悲しい。

 

ここ数年の間でも、間接的にも、直接的にも、性犯罪は身近で起きた。対応は、どれもひどいものだった。いくつもなかったことにされ、被害者が苦しみ、加害者の身には何も起きていないように思えた。

 

こんなこと、もう起きるべきじゃない。

 

こんなことを、起こし続ける社会であってならない。

 

もし起きた時に、被害者を、どんなに子どもだろうが、どんなに大人だろうが、1ミリだって取りこぼさずに守るべきなんだ。

だから、今日も明日も、それからも、私は私にできることを一生懸命考える。一緒に考えてくれるひとがいることを知っているから。大切なひとを、これ以上傷つき続けてほしくないから。

 

性犯罪の認識も取り扱いも、もう変わるべき。ずっと前から変わっておきべきだった。