Sketch

ーもしも愛がすばらしいなら

昔の日記ーぶらつきながら、お茶を飲んだ

心のなかでは泣いていた。いつも、笑ったり、流れる景色を横目に過ごしたり、普段通りの生活を送っていたけど、心の中では涙を流していた。ひょっとしたら、そんな私の涙や私を泣きたくさせる何かが、私から滲み出ていたのかもしれない。周りの人達や取り囲む景色に伝わったかのように、皆優しかった。

 

泣きたくなるのはいつも、優しくされたときだった。正確に言えば、優しさを感じたときだったのかもしれない。いつも行くお店。会話がなくとも、視線の端で私を捉えて、でも私がこれからすることに目を光らせているわけではなく、私がただその場を精一杯私で過ごせるように、暖かい光で包みながら見守っていてくれるようなとき。自分では自分が誰なのか、何をしているのか、これから先を無事に過ごせるのか、無性に不安に襲われてどこに向かえばいいのか分からなくなってしまったとき。そんな時にふと触れた優しさに、涙が止まらなくなる。大人になって、人前だから、お化粧をしているからと理由をつけたり。泣きたい事実を認めなくなかったりして、自分の瞳から涙が溢れそうになったとき、それを留める手段は習得できたけど、心の涙を止める方法は未だに分からない。そして、それはきっと、心地いい。

 

だから、途方に暮れてぶらぶら道を歩いているとき。そこに行けば、優しさだったり暖かさのようなものがあると知っているはずなのに、それを完全に忘れきってしまったとき。そんなときに、何度でもまた感じることができるというのは、信じがたいけど、確かに何度も何度も、当たり前のように繰り返してくれることだった。そのことが、いつも私の心を涙で濡らした。そんな優しさを感じた後は、優しさが次から次へと溢れてくるようで、少し前までは、自分の苦しみでいっぱいで気づかなかった素朴な街並みや街路樹、子どもたちの声が、心をふわっと軽くするのだった。

 

その日は、その茶屋で初めての木柵鉄観音茶を頼んだ。飲み始めてすぐに、そのお茶が持つ暖かみが自分にしっとり染みてくることに気がづいた。自分で自分を攻め続けて、もう言葉を発せなくなったようにいがいがとしていた喉が、優しく熱い液体を通して、ひっかかっていたものまで一緒に溶かして消えてしまったみたいだった。黄金色に不思議に輝く、落ち着いているのに蜂蜜のように甘いお茶だった。そしていつも応対してくれる憧れの女性は、いつも通り優しく押し付けない優しさで、私はまた、無性に泣きたくなった。

 


「書きなさい」という声が聞こえてから、自分にとっての芯故に悩んでいたセクシャリティのことだけでなく、自分に関連することはなんでも書こうと思った。飾りができずに、巧みに表現することもできず、故にこれから先ずっと必要だった作業なのだと、どこか自分で感じ取っていた。