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Sketch

ーもしも愛がすばらしいなら

坊主憎けりゃ袈裟(けさ)まで憎い・・・のに袈裟が嫌いな理由を並べてもどうしようもない

坊主憎(にく)けりゃ袈裟(けさ)まで憎い
その人を憎むあまりに,その人に関係のある事物すべてを憎むことのたとえ。

ー国語辞典より

 

 

怒りに燃えています。

 

親戚のおじさんとケンカをしていて、腹が立って仕方ないんです。

 

・・・でもこの歳まで生きていると、「あのおじさんのこういうところがひどい」とか「おじさんはこんなことをしている。最低」とか色々腹を立てても、論点がズレてるのが自分でも分かります。

 

犬がかぶれば袈裟は目に入らないことに気づく

腹を立てながらも、「あれ、おじさんの〇〇な行動に怒っていると思っていたけど、他の人がしていると、なんともないぞ」ということに気が付きます。だったら一度、「坊主(おじさん)が嫌い」なんだという素直な気持ちを認めた方がよっぽど有意義な気がします。

 

「坊主が憎い」から始めて手を打っていく

袈裟とか草履とか云々言うより、坊主が憎いをしっかり見つめると、そもそもどうして坊主が憎いのか、怒りを感じるのかが見えてきたりします。嫌いな坊主と向き合うより、自分と向きあえば、自分のされて嫌だったことや願い、意外な思いが見えてきて、スッキリしたりします。時にイライラは要望を伝えたり、環境を変えることで解消され、貴重な自分の時間をムダにイライラで過ごす必要もなくなります。

 

坊主に腹を立てているだけだと何もしなくてすみますが、要望を伝えるだけでも環境を変えようとする自分の力を感じることができて、満足したりします。

 

憎まれた坊主は、向けられる全ての批判に耳を傾けなくていい

最後に、もしもあなたが「憎まれた坊主」になり、袈裟や草履等をツラツラと責められても、全てがまともに受ける価値のある意見じゃないことを知っておいてほしいなと思います。実際には袈裟や草履が生まれ持った変えられないものになることは多々見られることですし、ましてやあなた自身が坊主の「袈裟」であることを責められるのなら、相手をする必要はないと思います。