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Sketch

ーもしも愛がすばらしいなら

カミングアウトが怖くて、どんどん拗ねてく自分がいる。だからカミングアウトが必要なんだと思った。

「どうせ、変な偏見ぶつけてくるんでしょ!?」

悲しいかな、元々スレていた私だけに、いつしか周囲に対してそう思う気持ちがかなり高く構築されてしまった。

 

実際には、そうじゃない友だちもいるし、どんな反応が返ってくるのか未知数の友だちもいる。でも、自分の中で、想定できない(していない)恐怖が形作られすぎて、スレた思いが倍増している気もしなくもない。正直、自分でも、こんな友だち嫌だ。セクシャリティとかの前に嫌だ。

 

ってことで、怖いから何か言われないように、連絡をとれる友人を少なくしてしまおう。と思ったのもあるし、私が誰でも絶対に変わらない人たちを、もっともっと大事にしていきたいとも思った。

 

そして先日、とあるセクシャルマイノリティ関連のイベントを多くの知人に案内したいと思い、残った連絡先の中でも親しい人たちを中心にメールを送ることにした。その時にふと、5年ほど前にうたぐわさんのブログを教えてくれた親しかった先輩の顔が浮かんで、自分自身も当事者であることや、自分の想いを書き加えようか迷った。

 

何人かに個別に伝えようと試みたものの全く言えない自分がいて、書いてしまえばとてもすっきりするような気もしたし、なんだか今まで誤魔化していた部分を、大切な人に正直に伝えられるのは嬉しいような気がした。

 

もし自分について伝えるのなら、誰にまでこのメールを送っていいのか分からなくなるとか、怖いとか色々並び立てて迷った挙句、結局は書かなかったのだけれど、今はそれでいいのだと思う。無理にやろうと思っても、うまくいかないことの方が多い(カミングアウトに関わらず)。

 

結局、イベントの案内だけにして、色んな人にメールを送りまくった。ここで、「ブログでイベントの名前を出そうか」とまた迷ったりする。自己開示、が人生うまくいくコツのように書かれている文章をよく見かけるし、実際にそのほうが楽しく生きれる気がする。でも、自分の自然にできるペースでいいかな、と思ったので、それが私にとっての楽に生きれるコツ、ということに今はしておこうと思う。オープンになるのを恐れていて、慣れていなくて、不安になる自分を受け入れるだけで、なんだか安心する気がするから。

 

後日、一斉送信したメールに何人かが返信をくれた。カミングアウトはしなかったけど、私がこのイベントや活動に関わっているのを喜んでくれたり、応援したいと言ってくれた友だちからの連絡がきて、泣きそうに嬉しかった。「どうせ”理解”なんてしないんでしょ?」と目いっぱいささくれた人間になってみても、優しさ暖かさで、あっという間にただの誰かの友だちである自分に戻るんだ。

 

少数の人にカミングアウトを交えたメールを送る(もしくは悩んで何も送らない)より、「とりあえず」、と多くの人にイベントの案内を送ってみて、本当によかった。誰からそんな応援がくるかなんて、実際に送ってみるまでは分からなかったから。それに、今も連絡先を残している大半の人に対して、カミングアウトもカミングアウト後の交友関係の持続もあきらめていたし、それを思うと怖さと悲しさでいっぱいだった。でも、イベントの案内のメールを送ったことは、送信先の人たちにはどうであれ、自分自身にとっては、その人達との関係を完全にあきらめない自分自身への表明になっていた。失う怖さも、悲しさも、失いたくない自分の気持ちとも、向きあえて本当によかった。

 

暖かくて、心が溶けたような気持ちになったメールだったけど、きっと送った本人たちは、そんなつもりがないであろうことが、すごく微笑ましい。